*このコーナーは、“ニホンのニュース〜ドイツ編。”として、ブログ化しました。

01/23 日本:アメリカの牛肉に対する再度の禁止。 01/23 new!
01/21 はっきりとしない、ウェブミリオネア。 01/21 new!
01/16 少なくとも、日本で70名が寒さで死亡。
12/28 日本:天皇が女性の役割を認める。
12/21 日本の雪のカオス。多くの飛行機は欠航、列車は脱線。
12/17 高原はハンブルガーSV(エスファウ)からの別れを考えている。
12/14 日本で、土曜日に再び一人の女子学生が殺された。
12/05 日本は男性の王位継承を廃止しようとしている。--日本は女性を王位に就かせたがっている。
11/25 ドイツへ行く資格を得た、一番はじめのチーム。
11/13 さようなら、プリンセス清子!
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01/16 「少なくとも、日本で70名が寒さで死亡。」
日本の軍隊が、冬の寒さの犠牲者の救助へ向かう。
東京:
12月の初旬以来、日本で70名が死亡したという、厳しい冬の継続に直面し、
とりわけ大きな損害を受けている地域へ、軍隊が動員される。
月曜日(9日)、半数の兵隊が雪の除雪作業のために日本の西と中部地方へ向かう。
東京の北、約160キロのところに位置する津南町では、
積雪390センチを記録した。
200世帯が外部から孤立され、
同時に到達不可能な学校が水曜(11日)までに閉鎖された状態になる。
週はじめ以来、しばらくの間太陽は照っていた。
そのために、同時に雪崩の危険性も高まった。
天気予報は、翌日も更なる積雪を予報した。
日本は現在、1946年以来、最も寒い氷点下40℃だけでなく、
大量の雪も体験している。
12月9日から1月5日までの間に、
平均降雪量は日本全体で2.45Mの雪が降った。
これは、過去10年の平均量の3倍だ。
警察は、日曜日(8日)に再び5名が天候による不運で死亡した、
と確認した。
頻繁な話題は、高齢者であり、
除雪作業にる屋根からの転落、または、
降ろした雪の犠牲になっている。
(01/09付けdie Links Zeitungより。)
12/28 「日本:天皇が女性の役割を認める。」
日本の明仁天皇は、女性の王位継承を採用するという、
現在の計画に直接言及することなく、
天皇家の女性の役割をとりわけ認めた。
72歳のお誕生日にあたって、東京の宮廷の知らせによると、
女性が国の歴史の中で、重要な使命を引き受け、
“非常によい協力”を果たすことを、天皇(Tenno)は言った。
国会は1月に、女性の相続が認められていない王位継承権の法律の変更を、
1947年以来、かかわりあうようだ。
アンケート結果によると、
日本国民の大多数が2600年の菊の王位に女性が就くことに対し、
反対していない。
召集された専門家による委員会は、
小泉純一郎総理に、明仁天皇と美智子皇后の孫である、
2001年に誕生したプリンセス愛子は、
天皇になる可能性を与えられるべきだと、
最終報告をした。
40年以来、天皇家には息子が誕生していない。
慢性的な落ち込みに苦しんでいる皇太子妃雅子さまは、
男子の王位継承者の誕生という、もの凄い圧力をかけられている。
愛子*(さま)はひとりっ子だ。
徳仁皇太子の弟、プリンス秋篠は2人の女の子の父だ。
総体として、日本の王位に就いた女性は8人いて、
一番最後は、18世紀にいた。
彼女らは、全て暫定的な君主として見なされていた。
王位は、幼い子供には渡さなかった。
第2次大戦、そして日本の敗北後、
君主一家の“神性の取り除き”をし、
神道による国の祭式の廃止という、
アメリカの法律が実行された。
天皇は国、民族国家の象徴であり、
政治的な権限は持っていない。
*(さま)とつけたのは、原文では、Aikoと紹介されているからです。
(12/23付けVorarlberg Onlineより)
12/21 「日本の雪のカオス。多くの飛行機は欠航、列車は脱線。」
日本で激しい積雪が交通機関のカオスと停電を引き起こした。
西日本の福井では、短時間で約2メートルの新雪が降った。
男性1名が、雪をシャベルですくおうとして、
自宅の屋根から転落し、死亡した。
列車の脱線で、35人全ての乗客が驚いただけで済んだ。
日本のテレビ局、NHKの情報によると、
国内線の100そこそこのフライトがキャンセルされなければならなかった。
最大風速はゆっくりと強くなった。
翌日には、次の激しい積雪が全ての地で予報されている。
今冬、これまで福井で1人が死亡し、
少なくとも、5人が家の屋根から落ちて怪我をし、
雪下ろしで脳卒中や心配停止となった。
(12/18付けMittelbayerische Zeitungより)
12/17 「高原はハンブルガーSV(エスファウ)からの別れを考えている。」
日本ナショナルチームの選手、高原直泰は、
ブンデスリーガ・ハンブルガーSVからの期限前の別れを考えている。
“もし来週の状況に変化がなければ、
他のチームへの移籍とプレイの可能性を再び考えなければならない。”
と、26歳のフォワードは、“ビルト紙”のインタヴューの中で言った。
高原は、過去のシーズンで、ハンブルガーSVの2番目の得点王だった。
しかし、ここ数週間は、たまに起用されるだけだった。
今年のブンデスリーガのシーズンでは、彼は今までゴールがない。
(12/13付けsportgateより)
12/14 「日本で、土曜日に再び一人の女子学生が殺された。」
京都府の宇治という街で、12歳の子供が包丁で刺し殺された、と警察は知らせた。
23歳の男が逮捕された。
“犯人は、女子学生と喧嘩のすえ、刺し殺した、と説明した”、と警察は言った。
これは日本で半月以内に起きた、3件目の幼い少女への殺害である。
数週間前、2人の7歳の女子学生が帰宅途中、別々の犯罪により、殺害された。
日本でこの連続事件は、どうやって子供を暴力から守ることが出来るか、
という議論を開始させた。
(12/10付けロイター通信より)
12/05 「日本は男性の王位継承を廃止しようとしている。」
数ヶ月間の協議のあと、
日本の政府委員会は、天皇家の男性皇位継承権の廃止を提案した。
委員会の参加者は月曜日(11/21)、
天皇の長子の子供を性別に関係なく、菊の王位にのぼらせるべき、
と説明したと、共同通信社の記者は報告した。
委員会は1月から王位継承権について、協議してきた。
1947年からの法律によると、
王位につけるのは、天皇の父方の親戚である男性のみである。
この法律は、今現在において、問題がある。
40年以来、現在の明仁天皇の家族には、
跡継ぎの男性が誕生していないからだ。
彼の息子である徳仁*(さま)には、
妻の雅子*(さま)と3歳の娘、愛子*(さま)がいる。
アンケートによると、80%以上が女性天皇に賛成する、という結果が出ている。
ヨーロッパでは、王位継承による男性の跡継ぎは、
イギリス、スペイン、モナコで優遇されている。
(11/21付けBaslerZeitungより)
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12/05 「日本は女性を王位に就かせたがっている。」
■男性の稜堡の危機。
女性も今後、“天の皇帝”になれるべきである。
政府の協議委員会は月曜日(11/21)、
今後の女性、その後継ぎも王位に就くということに合意した。
それにより、18世紀以来、日本で最初の君主となる、
日本のプリンセス愛子の困難は取り除かれる。
40年以来、天皇家には息子が誕生していない。
そのため、現在の法律によって、
後継ぎの危機は最後の君主にせまっている。
■国民は女性天皇に反対していない。
委員会の推薦によると、
今後の第1子が性別に関係なく、王位に就くことが出来る。
小泉純一郎首相は先頃、
政府は、現在男性だけが王位に就くことを許されてない、
という、王位継承に関する法律の変更の草案を、
国会に来年早々提出すると、説明した。
アンケートによると、日本の国民の多数が女性天皇に反対していない。
委員会は木曜日(11/24)、最終報告を政府の長、小泉氏に提出する。
■愛子*(さま)は父の後継ぎになる。
政府推奨により、法律が変更されると、
小さな愛子*(さま)は、父である徳仁皇太子の王位を継承する。
彼女は皇太子とその妻である雅子皇太子妃の、2、3歳の子供である。
数年来、雅子皇太子妃には、男性の王位継承者の誕生が負担となっている。
推奨されている法律改正は、皇太子妃の発病に対して、
非常に影響のあったこれらのドラマを終わらせることが出来る。
■伝統が躊躇させる。
しかしながら、伝統的な宮家に懸念している人もいる。
父方の君主の後継ぎを王位に就かせることで、
2000年来、“途切れることの無い血の継承”を保持してきた天皇家は、
ついに変わることとなる。
この伝統は、プリンセス愛子が将来、
一般市民と結婚し、その子供が王位に就くことで、
破壊される。
■そもそもは新しいことではない。
日本では、女性天皇は新しい出来事ではない。
6世紀と18世紀の間に、8人の女性天皇が島国に存在していた。
最後の女性天皇は後桜町天皇で、1762年から1771年に即位していた。
天皇家は、太陽の女神、天照大神に起源するという伝説がある。
明仁天皇は125代の天皇[Tenno](“天の皇帝”)である。
1947年の憲法によると、
天皇は“国家と国民全体の象徴”である。
しかしながら、天皇には政府の権限はない。
(11/21付けFOCUSより)
*(さま)とつけたのは、原文では、Naruhito、Masako、Aikoと紹介されているからです。
11/25 「ドイツへ行く資格を得た、一番はじめのチーム。」
予選中、何度か順位が替わったにもかかわらず、
日本はついにアジアチャンピオンとして、その地位を証明した。
日本は、開催国であるドイツを除き、
2006年FIFAサッカーワールドカップの参加資格を最初に得たチームである。
アジア予選、最後の8チームのもと、
2004年に行なわれた予選で、問題なく6つの勝利をおさめた後、
2005年2月、ジーコの選手たちは、
まず初めに最終グループの中で、悪い成績からスタートした。
北朝鮮との試合では、ロスタイムにゴールを決めたが、
3月25日のグループBの2回目の試合で、日本はイランに1対2で敗北を喫した。
バーレーン戦での2つめの勝利で、
(幸運なオウンゴールでやっと1点を得た。)
日本はワールドカップ行きのコースに留まった。
北朝鮮との第2戦が、6月8日、バンコクで行なわれ、
柳沢と大黒のゴールにより、2対0で勝利し、それにより、
最終戦の前にワールドカップへの切符を確実なものにした。
ホームでの最終試合で、日本はイランに勝利し、
グループ内で1位を確実にした。
日本は、2006年ドイツ大会で、3回連続のワールドカップの出場となる。
日本プロリーグ、Jリーグが93年に始まって以来、
ナショナルチームは絶え間なく強くなっている。
そして、2000年、2004年にはアジアチャンピオンとなった。
世界の舞台で、日本は94年アメリカワールドカップの参加を寸前のところで逃した。
ドーハでのイラク戦で、ロスタイムに決定的な同点ゴールを決められた。
日本は98年のフランス大会で、ワールドカップデビューを飾った。
2002年、当時のフランス人監督、フィリップ・トルシエは、
ロシアとチュニジアに対し、チームで重要な成功を収めた。
ジーコが2002年にナショナルチームの監督として、
フランス人監督から引き継いだ後、
2004年、アジア地域で勝利するため、
ベストの状態ではない日本チームを指導した。
日本は最終試合で、開催国の中国を3対1で破った。
そのブラジル人は、最終結果に批判を受けたにも関わらず、
2006年ドイツ大会の予選後、ナショナルチームに対する信頼を回復させ、
2005年FIFAコンフェデレーションズカップで、良い印象を回復させた。
日本は、ヨーロッパのチームと契約している中田、中村、小野、
そして鹿島アントラーズの小笠原という、
アジアでも最も優秀なMFがいる。
中田は既にアジアの選手の中でも最も優秀な選手で、
かつての日本を作り出した。
今や中村も、日本のナショナルチームを引っ張る選手として見なされている。
ガンバ大阪のFW大黒は、予選と2005年のコンフェデ杯で数回、
決定的なゴールを決めている、という点で、
MFの優秀な選手と比較すると、
日本のオフェンスは少しずつ楽観的になっているようだ。
(FIFA W杯公式サイトより一部抜粋)
11/13 「さようなら、プリンセス清子!プリンセス清子、一般市民とご結婚。」
日本の皇族の、お別れの深いお辞儀。
先週末、一般市民との結婚式を前に、
日本のプリンセス清子は御所でお別れの挨拶を行なった。
土曜日、その36歳の女性は、
皇居内の先祖が祀られている神社で、
伝統的な式服を着て祈りを捧げた。
そのあと、明仁天皇と美智子皇后に別れの挨拶を行った。
火曜日、天皇家の娘であるプリンセス清子は、
4歳年上の都市計画家である黒田慶樹氏と結婚する。
鳥類学者である清子さまは、一般市民との結婚により、
皇族の身分を捨てる。
そして、皇居を去らなければならない。
プリンセス!ようこそ一般市民の世界へ!
(BerlinerMorgenpostより。)
更新:12/2005