
インフォメーション
![]() |
・ミュンヘンからフュッセン: |
□チケット・大人: 9.00 € ・学生/65歳以上/18歳以下/15人以上の団体: 8.00 € ・18歳以下:無料 見学時間:約30分 □ホーエン、ノイシュヴァン城共通チケット ・大人:17.00 € ・学生/65歳以上/18歳以下/15人以上の団体:15.00 € ・18歳以下:無料 □チケット売り場営業 ・毎日:08:00-17:30(04/01-09/30/2005) ・毎日:09:00-15:30(10/01-03/31/2006) □開館 ・毎日:09:00から(04/01-09/30/2005) ・毎日:10:00から(10/01-03/31/2006) □休み ・12/24 |
□チケット・大人: 9.00 € ・学生/65歳以上/18歳以下/15人以上の団体: 8.00 € ・18歳以下:無料 見学時間:約35分 □ホーエン、ノイシュヴァン城共通チケット ・大人:17.00 € ・学生/65歳以上/18歳以下/15人以上の団体:15.00 € ・18歳以下:無料 □チケット売り場営業 ・毎日:08:00-17:00(04/01-09/30/2005) ・毎日:09:00-15:00(10/01-03/31/2006) □開館 ・毎日:09:00から(04/01-09/30/2005) ・毎日:10:00から(10/01-03/31/2006) □休み ・01/01 ・謝肉祭(02/08) ・12/24 ・12/25 ・12/31/2005 |
関連サイト










駐車場料金
乗用車: 4.00€ バス: 8.00€ キャンピングカー: 6.00€ バイク: 1.50€・1日有効
・20:00-8:00まで閉鎖
チケット売り場からホーエンシュヴァンガウ城まで
馬車:・ 3.50 €(上り)
・ 1.50 €(下り)
チケット売り場からホーエンシュヴァンガウ城までは徒歩で約5分程度
ホーエンシュヴァンガウ城からノイシュヴァンシュタイン城まで
馬車:・ 5.00 €(上り) 上り乗車場所:Hotel Müllerホテルミュラー
・ 2.50 €(下り)
バス:
・ 1.80 €(上り) 上り乗車場所:Schloss Hotel Lislシュロスホテルリースル
・ 1.00 €(下り)
・ 2.60 €(往復)
徒歩、約40分で行くことも可。バスはマリエン橋手前で停車
一言
- 夏季の旅行シーズンは混雑が予想されるので、予めオンライン予約することをお勧めします。
チケットセンター
- ホーエンシュヴァンガウ、ノイシュヴァンシュタイン城のチケットは、
フッセンからのバスを降りた駐車場から先に進むと売り場があります。 - ガイドツアーは英語、ドイツ語、日本語を選択出来、それによって入場出来る時間が指定されますので、
着いて直ぐに中に入れるとは限りません。 - 麓からノイシュヴァンシュタイン城まで、バス、もしくは馬車で行くのもいいですが、
気候が良ければ徒歩で景色を楽しみながら行くのもお勧めです。 - ガイドは30人程度の集団で城内を廻ります。
- 日本語の場合、館内アナウンスが流れます。
- ミュンヘンから出発し、ホーエン、ノイシュヴァン城を両方見学すると、 待ち時間も含めて、1日は掛かります。
歴史
- ホーエンシュヴァンガウ城
-
ルートビッヒ2世の父、マキシミリアン2世は、18歳の時、
ハイキングの途中で老朽化したホーエンシュヴァンガウ城を発見し、
1832-36年、ホーエンシュヴァンガウ城を新ゴシック様式に修復させた。
家族と1年の多くをこの城で過ごし、マキシミリアンは周辺で狩猟し、
妻マリーはハイキングや釣りをして過ごした。
息子のルートビッヒ2世は幻想曲や建築に興味を持ち、
ホーエンシュヴァンガウで伝説や神話を信じるようになった。
- ノイシュヴァンシュタイン城
-
バイエルン王LudwigUルートビッヒ2世(1845-1886)は、
1886年“真の古きドイツの騎士の城”として、絵画の ような風景の岩壁に
ノイシュヴァンシュタイン城を造らせた。
舞台画家のクリスチャン・ヤンクのデザインに基づき、建設計画は実行に移された。
建物は13世紀のロマネスク様式に倣い、「歌人の間」はアイゼナハにある
Wartburgヴァルトブルク城の祝宴の間を模造し、壁画画家にワーグナーの
「タンホイザー」「ホーエングリーン」の舞台の一部を描かせた。
「王座の間」はミュンヘンのホーフ教会を模造し、ルートビッヒの王位を象徴している。
- ルートビッヒ2世
-
バイエルン王、LudwigUルートビッヒ2世(1845-1886)は、
幼少時にホーエンシュヴァンガウ城に住み、1886年、
ノイシュヴァンシュタイン城を完成させた。
1864年、18歳で国王に宣言された頃、
Richard Wagnerワーグナーとミュンヘンで出会い、彼の音楽に陶酔するようになる。
1866年、拡大を続けるプロイセンに敗戦すると、
バイエルンはプロイセンの叔父の“家臣”扱いとされた。
(ルートビッヒの母はプロイセン出身)
1868年、父が再建させたホーエンシュヴァンガウ城の近くに新しい城、
ノイシュヴァンシュタイン城の建設を命じ、その後、
1879年にヴェルサイユ宮殿のトリアノン宮殿を真似たSchloss Linderhofリンダーホフ城を、
Herrenchiemseeヘレンキーム湖にはヴェルサイユ宮殿を真似た
Schloss Herrenchiemヘレンキーム城を造り、 国家予算はおよそ1,400万マルクの負債を抱えることに。
1886年、王の叔父、Luitpoldルイポルトによって統治を引き継がれ、
ルートビッヒはノイシュヴァンシュタイン城に、後にベルク城に幽閉され、
新政府の支配下になると、6月13日、ミュンヘン郊外のStarnberger Seeシュタンベルク湖にて
ルートビッヒの遺体が見つかる。
(他殺とも自殺とも云われている。)
王の死の7週間後、同年8月には、ルートビッヒの建てたノイシュヴァンシュタイン、リンダーホフ、
ヘレンキーム城は一般に開放される。
更新:06/2005